2020年12月13日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「主をあがめる」
聖書―ルカによる福音書1章39~56節
(はじめに)
先週からイエスさまの母となったマリアのことが書かれている聖書の箇所を読んでいます。先週はルカによる福音書1章26~38節を読みました。そこに書かれていたのは主の天使が告げる神さまの言葉です。天使ガブリエルがマリアに、あなたから救い主が生まれます、と伝えました。マリアは大変驚きますが、天使を通して語られた神さまの言葉を聞いていくうちに、そのことを受け入れるようになりました。
マリアが神さまの言葉を受け入れた、マリアの信仰告白とも言える言葉が書かれていました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(38節)。「わたしは主のはしため」というのは、私は神さまのしもべということです。神さまを信じる人のことをクリスチャン、キリスト者と言いますが、それは「キリストのもの」ということです。私は私であって誰のものでもない。そのように言われる方があるかもしれませんが、クリスチャン、キリスト者というのは、私は「キリストのもの」と告白した人です。マリアが自分のことを私は神さまのしもべと言ったのと同じです。
(聖書から)
さて、今日お読みしました聖書の箇所では、マリアが天使から告げられた言葉を聞いたすぐ後のことが書かれています。39節をお読みします。
1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
マリアは出かけた。それも急いで山里に向かい、ユダの町に行った、ということです。マリアはガリラヤのナザレという町に住んでいました(26節)。ナザレからユダの町まで100キロほどであった、ということでかなり遠い距離ですが、いったいそこには何があったのでしょうか?40節には「そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した」とあります。ユダの町にはザカリアの家があったということです。マリアはザカリアの妻エリサベトに会いに行ったのです。
エリサベトについては、先週の聖書の箇所にこのようにありました。「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」(36、37節)。マリアはまだ婚約者のヨセフと結婚して一緒に生活していないのに、天使から、あなたは聖霊によって妊娠し、男の子を産みます、と言われて、信じられずにいました。そういうマリアに天使はエリサベトの話をしたのです。マリアの親類のエリサベトはもう子供を生むような年齢ではなかったのに、男の子を妊娠し、六ヶ月になっている。このように、神さまにできないことは何一つない、と言ったのです。そのことを聞いていたからマリアはエリサベトに会うためにユダの町に行ったのです。マリアは自分と同じ体験をしたエリサベト、天使から神さまの言葉を告げられ、その言葉が実現していく。その喜び、希望を持ったエリサベトに会いたい!その思いが急いでユダの町へ行った、ということなのでしょう。エリサベトはマリアに会って、このように言います。
1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
エリサベトがマリアの挨拶を聞いた時、胎内の子、お腹の中の子供がおどった、とあります。そして、エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った言葉が今、読んだエリサベトの言葉です。エリサベトはマリアのことを女の中で祝福された方、と言い、マリアのお腹の子供も祝福されていますと言います。そして、マリアのことを「わたしの主のお母さま」と言っています。これは私の救い主、私の神さまのお母さまということです。なぜ、そのことが分かったのかというと、「聖霊に満たされて」とあります。エリサベトは聖霊によってそのことが分かったのです。「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えない」(一コリント12章3節)のです。今、私たちが「イエスさまは救い主です、私の神さまです」と信じることができるのも聖霊によることなのです。イエスさまを信じることができるのは、人間の知恵や力によるものではありません。神さまが聖霊によって信じることができるようにしてくださるのです。ですから、私たちは人びとにイエスさまをお伝えする時、まずするべきことは人びとが聖霊によってイエスさまを救い主と信じることができますように、と祈ることです。
エリサベトはマリアに会うことができて、そして、マリアの胎内の子供である救い主に会うことができて喜びました。エリサベトだけでなく、エリサベトのお腹の子供も喜んだと書いてあります(44節)。そして、エリサベトはこう言うのです。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。神さまの言葉を信頼する人は幸い。これはマリアのことであり、エリサベト自身のことです。そして、ここにいる皆さんも神さまの言葉を信頼するならば、幸いな人なのです。
マリアはエリサベトの語る言葉に大きな励まし、慰めを受けたことでしょう。この後、46節からはマリアの賛歌、マリアが神さまを賛美する言葉が書かれています。この中の前半の部分を読んでみます。
1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。
マリアは「わたしの魂は主をあがめ」と言います。「あがめる」という言葉は「大きくする」という意味です。神さまをあがめる、神さまを大きくする。どういうことでしょうか?このことを考えるために、まず、自分自身に問いかけてみましょう。私たちの心は何が大きくなっているでしょうか?何が一番大事でしょうか?おそらく、自分自身だと思います。私の心は、人生は自分が大きくなっている、自分が中心になっている。それが私たちの正直な答えだと思います。
マリアは私の魂は主をあがめます、主を大きくします、と言いました。私ではなく、主よ、あなたが私の心、私の人生の中心です、と言っているのです。イエスさまを私の主とするというのは、自分の心の中心、人生の中心が自分からイエスさまに替わるということです。そして、エリサベトが言ったように、神さまの言葉を信頼して生きるということです。
マリアは自分のことをこう言っています。「身分の低い、この主のはしため」。私は神さまの前に本当に小さな存在です。でもその私を神さまは目を留めてくださいました。神さまは私をご自分の大切なみ子である救い主をこの世に送るために用いられました。私のことをいつの時代の人びとも幸いな者と呼ぶでしょうと。このマリアの神さまに対する賛美は私たちのことでもあると思います。私たちも神さまの前に小さな存在ですが、その私たちを神さまはご自分の善きことのために用いてくださいます。だから私たちも幸いな者なのです。
(むすび)
今日も私たちは教会に集い、主をあがめています。日曜日に兄弟姉妹と一緒に主をあがめる。そして、日々の生活の中でも主をあがめるのです。先ほど、あがめるというのは大きくすることであると言いました。自分の中で主を大きくする、主を中心に、主を何よりも第一にする、優先するというのは先ほどもお話しましたが難しいことです。私たちの肉の弱さ、罪の性質によって、自分を中心にしてしまうからです。
教会では、「悔い改め」という言葉をよく聞きます。「回心」とも言いますが、元々の意味は生き方を方向転換するということです。自分を中心に生きてきた生き方を方向転換して、神さまを中心に生きていくように願い求めるのです。願い求める者に聖霊が働いてくださり、私たちの生き方の方向転換をさせてくださいます。主をあがめましょう。主が私たちの心の中心にいてくださり、私たちが神さまの愛に生きること、神さまの真実に生きることを導いてくださいと祈りつつ歩みましょう。主をあがめる人こそ、幸いな人なのです。
祈り
恵み深い主なる神さま
マリアのエリサベト訪問、そして、マリアの賛歌の箇所を聞きました。マリアが天使から告げられた神さまの恵みをエリサベトも受けていることを知り、マリアは喜び勇んでエリサベトを訪ねました。私たちも今このように主にある兄弟姉妹、すなわち、神さまの恵みを信じ受け入れた人たちと交わりを持つことができますことを感謝します。
今日の聖書の箇所では、エリサベトの口から、またマリアの口から、幸いという言葉を聞きました。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」、「身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから」。
エリサベト、マリア、そして、私たちも幸いな者とされていることを信じます。神さまの言葉を信頼し、神さまが私たちのことも目を留めてくださっていることを喜び生きる者としてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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